沈黙の中で、聴こえてくるもの

このところ、雨の日が続いている。
関東圏では激しい雨による被害も出ている。
私の住む地域は小高い場所にあるため、幸い水害の影響はあまりないが、被害に遭われた方々の一日も早い復旧を願うばかりである。
今日も、コーチングについて書いてみたい。
前回も「深く聴くこと」について触れたので、少し似た話になってしまう。
このところ私自身の中で、「傾聴」というものの捉え方がかなり変わってきていて、どうしてもこのテーマに意識が向いてしまう。
本格的にプロコーチとして活動を始めて、7年目に入った。
この頃になってようやく、「クライアントの世界観を聴く」という感覚が少しずつ分かってきたように思う。
私がここでいう世界観とは、クライアントが話している状況がどんな場面で、そこに誰がいて、その人は何を考え、何を感じ、その心の奥にどんな想いを抱えているのか。
そんな、その人ならではのナラティブ(物語)のことだ。
じっと静かに耳を傾ける。
時折、問いを挟みながら、言葉だけでなく、声や表情の変化にも集中していると、その人が語る世界の解像度が少しずつ上がってくる。
「ああ、この人には、今、この景色が見えているのだな」
そんなふうに、クライアントが見ている世界を、私も少し一緒に感じられるようになってきた。
こういう時、クライアントはセッションの9割以上を話している。
私は、ただじっと聴いている。
「ただ」といっても、実際には相当に集中しているのだけれど。
そのためにとても大切なのが、「沈黙」や「間」である。
先日、朝ドラを観ていて、親子が対話する場面があった。
娘から話しかけられても、親役の俳優さんはすぐには答えない。
10秒ほどの沈黙がある。
そして、ぼそりと台詞をつぶやく。
その絶妙な「間」が、微妙な親子関係を表現する余白にもなっていたし、
「この親は、何を考えているのだろう」
「次に何を言うのだろう」
と、視聴者である私にも想像させる余白になっていた。
思わず、「うまいなあ」と頭の中でつぶやいた。
沈黙は、単に「コーチが話していない時間」ではない。
クライアント自身が、自分の内側に耳を傾けている時間でもある。
そして同時に、コーチにとっても、クライアントの世界を感じる時間なのだと思う。
言葉が途切れたところに何があるのか。
その人は今、何を感じているのか。
どんな言葉が生まれようとしているのか。
すぐに次の質問を投げかけず、その場にとどまっていると、言葉だけを追っていた時には聴こえなかったものが、少しずつ感じられるようになる。
前回、「何かをしてあげなければ」という思いを手放していくことで、クライアントと「共に在る」という感覚に近づいてきた、と書いた。
この「共に在る」ことのひとつが、「沈黙の中に共にいられる」ということなのかもしれない。
何かを言わなくてもいい。
次の問いを急がなくてもいい。
ただそこにいて、クライアントの中から次の言葉が生まれてくるのを待つ。
そうできるようになると、クライアントの世界観から感じ取れるものも、少しずつ増えていくように思う。
私はAudibleで、できるだけ小説を聴くことを習慣にしている。
登場人物の台詞を聴きながら、その人がどんな世界に生きているのかを想像し、その奥にある感情を感じ取る。
それもまた、私にとっては「聴く力」を磨く時間になっている。
大ベテランのコーチは、クライアントの語りや沈黙から、どこまでのものを感じているのだろう。
私には、まだ聴こえていないものが、きっとたくさんある。
少し聴こえるようになったからこそ、聴こえていないものの存在にも気づく。
傾聴とは、もしかすると、そうやってどこまでも深くなっていくものなのかもしれない。
まだ感じたことのない世界への憧れと、そこへ近づこうとする挑戦は、これからも続いていく。
