強いリーダーにこそ『鏡』が必要なのかもしれない

10月になった。
昨日は、1か月以上続いた長雨に終止符を打つかのような晴天だったが、今日はまた曇天に戻ってしまった。
金木犀の香りを、爽やかな秋晴れの下で味わいたいなと思う。
今朝、日経新聞に目を通していると、「ビッグエゴ(肥大化した自我)」という言葉が目に飛び込んできた。
ちょうどニデックをめぐる問題が紙面を占めている時期でもあり、
強烈な成功体験を持つ創業者やトップリーダーと、「ビッグエゴ」という言葉の関係について考えさせられた。
長い間、成功を積み重ねてきた。
自分の判断によって会社を成長させ、多くの困難を乗り越えてきた。
その経験が大きければ大きいほど、「自分のやり方は正しい」という確信も強くなるのかもしれない。
問題は、その「正しさ」を自分自身で客観視できなくなった時なのだと思う。
周囲がどれほど論理的に働きかけても、あるいは理解してもらおうと配慮を重ねても、かえって鎧が厚くなり、言葉が届かなくなる。
これは、特定の一社だけに固有の問題ではない。
程度の差こそあれ、長く強いリーダーシップによって率いられてきた組織では、起こり得ることなのではないかと思う。
私はエグゼクティブコーチとして、そして企業に伴走する立場として、こうした強固な「ビッグエゴ」に、どう向き合えばよいのだろうと考えてしまう。
ビッグエゴは、単なる傲慢さだとは捉えてはいない。
人はなぜ、自分の正しさを手放せなくなるのだろう。
これまで自分を支えてきた成功体験を手放すことへの怖れ。
周囲から称賛され、承認されることで築いてきた自己像が揺らぐことへの怖れ。
そんな自己防衛が、その奥にあるのではないだろうか。
もしコーチャブルな状態にある人なら、
「それは、ご自身の何を守っているのでしょうか」
という問いから、自分自身を見つめることができるかもしれない。
けれど、鎧があまりに厚くなっていると、その問いさえ跳ね返されてしまう。
リーダーは、その人一人の問題では終わらない。組織全体に大きな影響を及ぼすからだ。
だからこそ、私は伴走者として、静かに「鏡」であり続けるしかないのだと思う。
かつて成功をもたらした「正しさ」が、環境が大きく変化した今も、本当に目的地へ向かうための「正しさ」なのか。
ご自身には、今、何が見えていて、何が見えにくくなっているのか。
迎合するのでも、正面から正しさをぶつけ合うのでもなく、私心なく、見えているものをお伝えし続ける。
それでも、変わらないことはあるのだと思う。
だからこそ、どこまで関わるのか。何を伝え続けるのか。そして、組織を守るために何ができるのか。
「健全な鏡」であり続けること。
その意味を、あらためて考えた朝だった。
