生きている間に、どこまで深く人の話を「傾聴」できるだろう

関東地方は、このところ曇りがち。
暑さも少しやわらぎ、昼間に歩いて移動しても、さほど苦にならなくなってきた。
庭では秋明菊が、小さな目玉焼きを思わせるような可愛らしい花を咲かせ始めている。
少しずつ、秋の訪れを感じる。
今朝、コーチングの師匠が語るYouTubeを観た。
「コーチとは、クライアントのために何かをする人ではなく、共にある(共にあり続けられる)人」
師匠のこの言葉が、心に残った。
私がコーチングを提供し、クライアントからお金をいただく、いわゆるプロとして活動を始めてから、6年半以上になる。
最初の3年間は、今から振り返れば、かなり我流でコーチングをしていた。
それを思い知ったのは、ICF(国際コーチング連盟)のPCC(プロフェッショナル・サーティファイド・コーチ)資格を取ると決め、
自分のセッションを振り返るようになってからだ。
基本ができていない。そのことを思い知らされた。
そこから粘り強く修正を重ね、なんとかPCC資格を取得した。
その頃から、歌舞伎の世界で使われる「型無しと型破り」という言葉が、妙に胸に響くようになった。
型を破りたければ、まず型を身につけなければならない。
そう思い、PCC取得後も、ICFのコア・コンピテンシーをはじめ、さまざまなトレーニングに時間を費やしてきた。
もちろん、その間も実際のセッションは続けている。
今になって振り返ると、基本を学び続けてきた過程は、
私の中にあった「クライアントのために何かをやらなければならない」という思いを、
一つひとつ手放していく過程でもあったように思う。
「何かをしてあげなければ」
「気づきを起こさなければ」
「役に立たなければ」
そんな思いを少しずつ手放していくと、不思議なことに、クライアントの話そのものに集中できるようになる。
そして、傾聴が少しずつ深くなっていった。
これは、私の場合、1年くらいで身につくものではなかった。
PCCを取得してそろそろ3年になるので、3年ほどかけてわかってきたという感覚だ。
もちろん、これは私自身の歩みであって、人と比べるものでもない。
深く傾聴できるようになると、クライアントがどんな状況にいて、
そこで何を感じ、その状況をどのように捉えているのかが聴こえてくる。
その人が生きているナラティブ(物語)や世界観が見えてくる、と言ってもよいのかもしれない。
すると、
「この方は、本当は何を望んでいらっしゃるのだろう」
と、こちらも一緒にその世界に佇みながら、静かに問いを発することができるようになる。
そこに、師匠の言う「クライアントと共に在る(Being)」という感覚があるのではないか。
そんなことを、今朝の話を聴きながら考えていた。
もちろん師匠は、20年以上のコーチングキャリアを持つ大ベテラン。
守破離でいえば、「離」を体現されているのだと思う。
では、私はどこにいるのだろう。
ようやく「守」から「破」へ差しかかったところなのかもしれない。
「傾聴」という言葉は、とても簡単だ。
けれど、深いレベルで人を傾聴するとはどういうことなのか。
それを本当に理解し、体現することは、実はとても難しい。
生きている間に、私はどこまで人の話を深く聴けるようになるのだろう。
そう考えると、まだまだ先は長い。
いつか「離」の領域へ。
「何かをしてあげる人」ではなく、ただ深く聴き、クライアントと共に在り続けられるコーチへ。
そのために、これからも傾聴を磨き続けていきたい。

