“親切”の落とし穴──求められない助言とコーチングの視点

秋が一段と深まり、落ち葉を踏みしめながら、
さまざまな音を感じて駅まで歩くのが楽しい季節になってきた。

いま読んでいる小説でも、そして実際にわが家でも起きていることだが――
親は、子どもに助言をしすぎる。

もちろん、そこに悪気はない。
親として経験が豊富で、親切心や思いやりから出ていることはよくわかる。
特に、子どもがまだ経験したことのない出来事に直面すると、
「つい」口を出したくなるのが親心というものだ。

けれど、コーチングを学んだ今の私には、
この“助言=おせっかい”がどうにも気にかかる。

かつての私は、親としても会社人としても、
求められてもいないのに助言を繰り返していた。
いま思えば、それは大きな反省点であり、
コーチングに出会っていなければ、この悪癖に気づくこともなかったと思う。

少し成長した今は、
「求められない助言」はできるだけ控えたいと思っている。
まずは相手の状況を理解し、
必要であれば“選択肢の一つ”として情報を提供する――
それが自然な順序であり、
助言は「求められて初めて」意味を持つのだ。

ただ、この「相手の話を聴く」ことの大切さが、
なかなか理解されにくい現実もある。
「親切でやっているのに、なぜ非難されるの?」
そんな風に捉えられてしまうことも少なくない。

それはきっと、「助言する前に、話を聴く」というプロセスを
実際に体験したことが少ないからだと思う。

人生、何歳からでもリスキリングはできる。
けれど私は、子どものころからこそ、
“人の話を聴く”ことを学ぶ教育が必要だと感じている。
話す練習はまだしてきたけれど、
聴く練習は、ほとんどしてこなかったのではないだろうか。

今さら直せと言われても、簡単なことではない。
でもだからこそ――
少しずつ、「助言の前に、まず話を聴く」ということを、
これからも丁寧に伝えていきたいと思う。

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